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不機嫌な恋人
「チーービーーー」

 不意に前方から聞こえる雑音。一も二もなく進行方向を180度転回する俺。
 だが人の空気を全く読まないソレは、後を追ってきた。

「チビ」

 歩く速度を上げるにつれ、眉間のしわが険しくなる。雑音との差は拡がるどころかどんどん近づく一方。おかげで不快指数がピークに達しそうだ。

「なあ、チビ…」

 我慢限界。心のゴングが今、静かに鳴った。

「さっきからチビチビやかましい!」

 掴まれ掛けた腕を振り払い、振り向きざまに渾身込めた回し蹴りを見舞う。小学生の頃から空手部で鍛えてきた分、スピードと威力に自信はあった。
 ところがその自慢の一発を、雑音の発信源…もとい城乃内はギリギリ鼻先で交わしやがった。…今のは…まぐれ…だよな?
 予告抜きの奇襲だったにもかかわらず、城乃内は飄々とした態度を崩さない。
「あーっぶね。チビの足が後2センチ長けりゃヤバかったかも」
 ………。
 こ、こいつ… さらっと人が気にしてることを……!
 足が短くて悪かったなぁ!!

「一言、三言、余計なんだよ、てめーはっ!!」

 言葉を区切りながら繰り出した突きと蹴りを全て流され、さすがの俺も戦意喪失。…マジかよ。 そりゃ、こいつだって空手の心得があるのは知ってるけど、通信だぞ。通信教育。しかも始めてまだ3ヵ月って嘘だろ?
「さっきからなに怒ってんの?」
 小さな敗北感を味わっている俺の傍らで、ヤツは涼しげな面して首を捻る。こいつ…よくもぬけぬけと。
「お前がチビって呼ぶからだ!!」
「イヤなのか?」
 …俺にしてみりゃ意外そうな顔してるお前の方が心外だよ。その呆けた頭に入ってるなけなしの脳みそにはシワがあるか?!
 どこの世界に“チビ”呼ばわりされて喜ぶアホがいるよ。最初っから嫌だって死ぬほど言ってきただろうが! このバカたれ!!
「俺の名前は津田智美! さ・と・よ・し!」
「やっぱチビじゃん… てぇ…っ!!」
 まだ減らず口を叩く腹に拳を当ててやる。今度はばっちり決まった。フン、そうそう何度もミラクルが続いてたまるかっつーの。

 この名前の所為で、俺は女に間違われたり“チビ”とからかわれたり、小さいときから随分な辛酸を舐めてきた。空手を始めたのも、そんな奴らを見返してやるためだ。
 我ながら短絡かつ不純な動機だけど、効果はそれなりにあったと思う。実際、関東大会で準優勝を果たした小学6年の夏を境に、俺をからかう輩はぱったりなくなったのだから。
 以降、中学高校とずっと名字で呼ばれ続けてきた俺の学生生活は、平和そのもの。それは大学に入っても変わらないと信じていた。そう…この男、城乃内と出逢うまでは。

 城乃内との付き合いは一般教養課程を受講した際、たまたま隣り合ったことから始まった。といっても単なる“知り合い”程度で、それ以上でも以下でもない。どちらかといえば苦手な部類だ。少なくとも俺はそう思っていたのだが、向こうは違うらしい。
 そもそもこいつに関してはもっと大きな問題が…

「つーか、いつまで蹲ってんだ、コラ」
 さっきから腹を押さえて地面に屈んだきり動こうとしない城乃内に、溜まらず声を投げる。いくら裏通りで人影がまばらといえども、一応キャンパスなんだし…。げ。
 ヤツの顔をのぞき込んだ瞬間、血の気が退いた。
 え? おい、ちょっと。冗談だろ? 俺、そんなにきつく打ってないぞ。
 急所は外したつもりだけど、もしかして持病なんか持っていたりしたら、ちょっと…いや、かなりヤバイ。ど、どうしよう…救急車、呼んだ方がいいのかな。
「だ、大丈……ひぃっ!?」
 恐る恐る延ばした手をいきなり力いっぱい引き掴まれ、思わず心臓が止まりそうになる。その直後、苦しそうに表情を歪ませていたはずの城乃内が、俯いた姿勢で含み笑いを漏らした。

「つぅーかーまーえーたぁー」

 言うが早いかそのまま腕を引かれ、抵抗する間もなく構内脇の茂みに連れ込まれ…気付くと俺はヤツの下敷きになっていた。
「…騙し討ちなんて卑怯だぞ…っ!!」
 押し退けようとしても鉛のように重く、ビクともしない。お前、普段何食ってんだよ!?
「無駄無駄。テクニックはともかく、力は断然俺の方が上」
 この野郎ときたら器用にも低音で高笑い。勝者の余裕、というよりも、気分は悪役レスラーと言ったところか。
 超絶悔しいが、屋外だからと油断した俺のミスだ。こんな事態に陥るであろうことなど充分予測できたのに。
 なぜなら、ある日突然恋のカミングアウトをされてしまって以来、寄る度触る度、所構わず口説かれ続けてきたのだから。
 こいつが実力行使に移すのは、ある意味時間の問題だったんだ。

「なあ、そろそろ返事、聞かせてくれよ」

 城乃内の必要以上に艶やかな声。それだけで体温が上昇する俺もどうかしている。
「返事って、だから何度も言ってるだろ。無理だって」
「無理って何が? 男同士だから?」
「他に何があるんだよ」
「だめ。返事になってない」
 こんな調子で早3ヵ月。初めこそ鼻で軽くあしらっていたが、慣れてしまったせいか最近じゃあまり抵抗を感じなくなってきた自分が怖い。これ以上毒されても洒落にならないと、極力接触を避けていた矢先の今日だった。
 とにかくこの状況をどうにかしないと。
「お前マジ重い。どけよ」
「やだね。答えろよ。ハイかイエス、どっちだ?」
 そりゃもちろんイエ…って、どっちも同じじゃねえか!!
 うわ、こいつ俺が首を縦に振るまでこうやって押さえつけてるつもりか? この際嘘でもいいから『うん』って言っとこうかな。
 いやいや、男の尊厳が音立てて崩れそうで、なんか嫌だ。
 よし、こうなったら…。

「じゃあ訊くけど、お前は俺のどこが好きなわけ?」
 どうせ答えられなくて困るに違いないと高をくくって突きつけた俺の質問を、城乃内は0.5ナノ秒で即答した。
「顔と性格と名前」
 ……顔…と性格と……名、前? 名前って言ったか?
 よりにもよって最大のコンプレックスを刺激され、怒りが爆発する。手足が自由だったら、口より先に殴りつけていただろう。
「人のこと散々からかっておきながら、いまさら名前だ? ふざけんな!!」
 激しく睨み上げる俺に、ヤツは怯む様子もみせない。ただ、その顔からは笑顔が消え、冷静な目を向けた。
「“どこが好き”って訊くから、まんま答えただけなんだけど? いい名前じゃないか」
「いい加減に…!」
 その真っ直ぐな瞳に怒りが削がれてゆく。初めて見る城乃内の真面目面。気恥ずかしくなった俺が突っぱねてみても迫力に欠けた。

「智美」

 −−−−−−−ビクン!

 耳たぶを擽る囁きが一気に脈を高める。やべぇ、今こいつに呼ばれて“気持ちいい”なんて思っちまった。不味いよ、不味いって。だってこのノリで『つき合え』って言われたら…
「返事は?」
「……うん」
 って、ほらーーーーーっ!!
「あ、ち…違…っ いまのなし!」
 咄嗟で我に返り、慌てて首をぶんぶん左右に振っても時既に遅し。
「訂正は受け付けませーん」
 嬉々としてますます覆い被さる城乃内に、俺の叫びなど通じるはずもなく。
 その後数分間、俺は身体だけでなくしゃべる自由すら奪われた。不条理にも感じてしまった自分と、あいつのキスの巧さに心底腹が立つ。…でも。まあ、いいか。

 ここが屋外だからか一応俺に気を遣ったのか。結局城乃内の行為はキス止まりで終わった。
 長いこと地面に押しつけられていたせいで、全身あちこちが痛い。おまけに服をぱんぱん払うたび、砂や埃が宙を舞う。
 常識知らずにも良心の欠片くらいはあったらしい。背中についた砂は城乃内が払ってくれた。
 ……が。
「キスされてる時のお前、すんげぇ色っぽかったぞ」
 目ぇ開けてんなよ、ド変態。良心だけじゃなくデリカシーも欠片くらいもっておけ!
 あー、どこで間違えたんだろ、俺の人生。
 落ち込む俺と対照的に、どこまでも脳天気な男が笑う。
「心配すんな、絶対後悔させないから。仲良くしようぜ。チビ……うごっ!!」
 拳が綺麗に鳩尾へ落ちた。もう手加減はなしだ、馬鹿野郎。
「次そう呼んだら、口から本気汁吐かせてやるからな!」
 ダウン寸前の色ボケ男に冷ややかな視線を投げ、俺は一人憤然と歩き出した。

 なんだか成りゆきに身を任せる形になってしまったけれど。
 俺らの場合、ラブに至るまでにはしばらく遠い、かもな。
あとがきという名の言い訳。

軽いタッチの短編を書きたくて、それこそ軽い気分で書き出したら
どんどんどんどん妙な方向に…

これってハッピーエンド…なのかな?
2005年9月18日脱稿
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