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NEVER END LOVE・前編
 抜けるような青空が広がる9月の土曜日。藤沢尚葵(ふじさわ なおき)は、T医科大学付属病院に居た。普段の彼にはまったく縁のない場所。学校からも家からも距離があるこの病院に訪れたのは、一週間ほど前に入院したクラスメイトを見舞うためだ。そうでなければ、一生ここに来ることはなかったかもしれない。
 自分がクラス委員を務めていたのと、相手がそこそこ仲の良い友だちであることから、クラスの代表として見舞い役をかってでた尚葵だったが、やはり病院の独特の雰囲気に慣れないせいか何となく居心地が悪い。
 学校のことや宿題のこと等当たり障りのない話をしただけで、早々に病室を出てしまった。

 しかし、せっかく電車を乗り継いで来たのだからと思い立ち、尚葵はしばらく表の並木道を歩いてみることにした。
 薄い石畳が続く小径は病院の敷地内にすっぽり収まり、ずっと先の大学へと延びている。樹木も綺麗に整備されており、ちょっとした遊歩道といった感じだ。まもなく尚葵は、広場のような場所に差し掛かった。
 大きな木を中心に、ぐるりと円を描く造りのそこは憩いの場らしく、パジャマ姿の患者たちが其処此処で談笑している。尚葵は現在地を確認するため案内板の前で立ち止まった。

 --------コツン。
 不意に感じた後頭部の小さな衝撃。ややあって何かが落ちるような乾いた音がする。
「?」
 痛みはないが反射的に頭を抑え、尚葵は振り向いた。彼の足元に紙飛行機が落ちている。更にその延長上を辿ると、自分と年端の違わない車椅子に乗った人物。きっと紙飛行機の持ち主なのだろう。ゆっくりとこちらに向かって近づいてくる。
 その姿を視界に捉えた瞬間、尚葵はドキッとした。触れたらそのままフッと消えてしまいそうな…もしも天使がこの世にいるとしたら、きっとこんな感じなんじゃないだろうか。
 それにしても、えらく中性的な人だ。男……? それとも女……?

「男……だよ」
 少年は尚葵の心の中を読みとったかのように、クスクス笑いながらそう言った。途端に尚葵の顔は、真っ赤に染まる。
「ごっ…ごめん……なさい」
「ううん、よく間違われるんだ。それに、僕の方こそごめん。人のいない方へ投げたつもりだったんだけど」
 尚葵は紙飛行機を拾い上げ、彼に手渡した。差し出されたその腕はひどく細く、見ているだけで痛々しい。
 腕だけではない。身体全体がやせ細り、中学生の尚葵よりも大分小柄に見える。

「キミ、中学生? 大きいね」
「え、あ、うん。俺、学年でも大きいほうだから……」
 決してあがり症というわけではないのに、彼の前だとなぜかどぎまぎしてしまう。車椅子の少年は、そんな尚葵を見て微笑む。
「そっか…じゃあ、僕と同じだね」
「あ。キミも?」
「うん。本当なら高校生なんだけどね。出席日数が足りなくて、まだ中学に籍を置いたままだから…」
 ああ、そういうことか。どうりで中学生にしては大人びて見えると思った。寂しげな少年の笑顔に、胸がきゅっと絞められる思いがする。
「ずっと…ここに入院してるの?」
「うん。 ……ねぇ、キミ、またここへ来る?」
「えっ…う、うん。明日もその…予定」
 尚葵は思わずそう答えてしまった。もう息苦しい病院に足を向けるつもりなどなかったのに。

「じゃ明日この時間に、またここで会わない? 僕、遠野 聖(とおの ひじり)っていうんだ」
「お、俺…尚葵、藤沢尚葵」
「尚葵……いい名前だね。それじゃあ」
 聖はにっこり笑うと、車椅子を転回させ建物の中へ消えていった。脳裏に笑顔が残る。彼の姿が見えなくなっても、尚葵はしばらくその場に立ち尽くしていた。



 ----次の日、尚葵は再び病院に来た。一応の名目はクラスメイトの見舞いだが、目的はもちろん別だ。愛想話を適当に切り上げ、急いで広場に向かう。
 広場中央にある大木の脇に、聖がいた。彼は尚葵の存在に気付くと、小さく手を振った。
「ふふふ。本当に来てくれたんだね」
「うん…友だちの見舞いついでだし…」
 照れ隠しのためか、つい心にもないことをいってしまう。本当は聖に会うためなのに。しかし聖は、何もかも見透かしているように微笑んだ。色素の薄いグレーがかった瞳がそう見せるのかもしれない。なんだか神秘的な瞳だな、と尚葵は思う。

「僕ね。あんまり外へ出られなくて、友だちいないんだ。だから尚葵くんが友だちになってくれれば嬉しいな…」
「そんなの! 全然かまわないよ。俺なんかでよければっ」
 尚葵は必要以上に力説してしまった自分にハッとし、赤くなった。その様子に、寂しげだった聖の表情がみるみる華やぐ。
「ありがとう。じゃあ友だちになってくれた記念に、僕のとっておきの場所を教えてあげるよ」
 聖は嬉しそうに声を弾ませると、車椅子を作動した。電動式のため、それを手伝う必要がない。尚葵は聖の移動に歩調を合わせ、ついていく。

 途中、並木道を脇に逸れる雑木林に繋がる細道があり、聖はその中へと入っていった。雑木林といっても整備はされているので、車椅子でも充分入れる。更に少し歩くと、いままで鬱蒼と生い茂った枝木に遮られていた視界がパッと広がった。
 木々の隙間からきらきら陽光が輝くその空間は、そこだけが別世界のようだ。さしずめ小さな箱庭といったところだろうか。
「うわ…すっげ……病院じゃないみてぇ……」
「だろう? ここって建物の死角らしくって結構穴場なんだ」
 聖はよいしょと車椅子から降り、芝生の上に座った。尚葵もその隣に座る。
「聖くん、歩けるんだ…」
「聖でいいよ。少しなら歩いていいっていわれてるから。あ、僕も尚葵って呼んでいい?」
「うん、もちろん。あの……聖ってさ、何の病気で入院してるの?」
「わかんない」
「え?」
「原因不明なんだ……身体の中の細胞が少しずつ死んでいって、そのうち衰弱して死んじゃうの」
「…………! な、治る…よね…?」
「………」
 原因がわからないじゃ仕方ないよ、と微笑う聖。その計り知れない心情に、尚葵はやりきれない思いがした。沈む空気を察知した聖は、素早く気持ちを切り替えて別の話題を振る。

「ごめんね。なんだか嫌な気分にさせちゃったね。ね、今度は僕の方から質問していい?」
「あ、うん。何?」
「尚葵はさ、将来何になりたいの? 夢ってある?」
 その花咲く表情は、先ほどの悲しげな印象を完全にかき消していた。釣られた尚葵の表情にも、明るい陽が差し込む。
「えっと…弁護士かな。俺の親父が弁護士でさ、小さい時から尊敬してたから…」
「へぇ、かっこいいなぁ。じゃあ、いつか僕が被告側に立ったら、尚葵に弁護してもらっちゃお」
「そ、そんな! まだなれるかどうかもわかんないんだよ」
 期待いっぱい弾む声に慌てた尚葵は、大きく手と首を振った。第一、聖が被告席に立つこと自体想像できない。焦る尚葵の端で、聖は戯けた風に冗談冗談と掌をひらひらさせる。そして今度は自身の夢を語り始めた。
「僕の夢はねぇ。司書になることなんだ」
「司書って……図書館の?」
「うん。本が好きなんだ。だから本に囲まれた仕事がしたくて」
「なんか、雰囲気バッチリ。んじゃ資料が欲しいときは、聖のいる図書館を利用するよ」
「そう? そしたら尚葵専用の席を用意しておくね」
 恐らく、そんな未来がくることなどないだろう。それでも今だけはその未来を信じ、互いに語り合う。
 出会って2度目にして、2人は“親友”と呼び合える仲になっていた。

 尚葵14歳、聖17歳の秋だった-------------------
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