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NEVER END LOVE 2nd  #1
 T医科大学病理学研究センターの第三研究室で、カタカタとキーをタイプする音が響く。藤沢尚葵(ふじさわ なおき)は現在執筆中の論文に追われていた。キリがない、この辺りで少し休憩しよう。そう思い、叩く指を止めた。
 そして、飲みかけのコーヒーを喉に流し込みながら、窓の外に目を遣る。空は気持ちがいいほどの快晴だ。

-------ちょうど、こんな日だったな。あいつと出会ったのは……

 原因不明の病に冒された遠野聖(とおの ひじり)が逝ってから、16年。彼のために医師を目指した尚葵は見事医師免許を取得し、内科医として活躍していた。かつて聖が入院していたこの病院で。

 時間の流れは彼の面立ちをすっかり変え、精悍な二枚目医師として看護師や患者たちから密かな人気を集めていた。しかしどうしたわけか、決して特定の恋人をつくろうとしない。そんな謎めいた一面を持つ彼に、ますます憧れを抱く女性は多い。

 尚葵は気分転換を兼ねて、病院の方へ向かった。現在は研究と論文に追われているため臨床から離れているが、時々こうして病棟へ足を向け以前担当していた入院患者の様子を見て回る。ここ最近の彼の日常だ。
 研究センターと付属病院は同じ敷地内で自由に移動できる。エレベータを降りレントゲン室の前を通りかかったところで、背後から誰かに声をかけられた。

「あの…すみません。整形外科の入院病棟ってどこですか?」
「ああ、それなら反対側の……」
 尚葵が説明しながら振り向くと、そこには一人の高校生らしき少年が立っていた。そしてその顔は……
「……聖!!」
 忘れようとしても忘れられない、かつて自分が愛した少年…あの聖にそっくりだったのだ。少年はきょとんとした様子で尚葵を見上げている。
「…あの……?」
「あ、ああ……すまない。知り合いによく似ていたものだから……整形外科だったね、ここをまっすぐ行って……」
 落ち着け。あいつは死んでしまった。もうこの世のどこにもいないのだから…
 尚葵は激しく揺れ動く心を抑えこみ、少年に道程を説明する。彼は軽く頭を下げ、場を立ち去った。

 どうやら自分は、まだあいつに惚れているらしい……聖に似たあの少年を見ただけで、こんなにも動揺するなんて。
 少し頭を冷やしたほうがいい。尚葵は方向転換し、建物を後にした。


 聖と過ごした2人の箱庭は、16年の歳月を経た現在でも色褪せていない。尚葵は何か考え事があると、一人でここに来る。皆、それを知ってか知らずか、この場所に訪れる者は少ない。
 そういえば、忙しくてここしばらく来られなかったな。小さな溜息をひとつ吐き、芝生の上に寝転がる。
 あの日…ここで聖が逝った日、尚葵は医者になろうと決心した。そして今、彼が患っていた病の研究を進めているものの、未だ原因と治療法が不明のままだ。
 尚葵の心の呟きが吐いて出る。
「現実って、そんなに甘くはないよな……」

 聖との、短いが沢山の思い出が詰まっているこの場所にいると、時間を忘れることができる。しかし、いい加減戻らないと後輩たちが心配するだろう。尚葵は立ち上がり、白衣についた芝を払った。

 その時、入り口付近で落ち葉を踏む音がした。尚葵がそちらの方に視界を向けると、そこには先ほどの少年が立っている。
「あ、さっきはどうもありがとうございました」
 年の頃は16、7だろうか。今時の学生にしては丁寧なお辞儀に、尚葵も目を細める。
「いや、ちゃんと行けたかい?」
「はい。おかげさまで。友人の見舞いに来たんですけど、大きい病院って初めてだから…助かりました」
「それは良かった」
 尚葵はクラスメイトの見舞いでこの病院に初めて訪れた日を思い出していた。確かにあの時、自分も少し迷った。一度、事務局に案内板の改善要求を出した方がいいかもしれない。
 それにしても。
 見れば見るほど聖に似ている。…いや、似ているなんてものじゃない、そのものだ。そう感じたとき、脳が止めるよりも先に口が動いてしまった。
「……聖」
 瞬間、はっと口をつぐむ。少年はクスクス笑った。
「僕、そんなにその人に似てるんですか?」
「ああ……よく似ている…」
 骨格が似ているせいか、声までそっくりだ。むしろ自分の目の前に居るのは、聖本人ではないだろうか。もし、本人なら……
「僕は、聖樹……小野聖樹(おの せいじゅ)っていいます」
 少年の唐突な自己紹介に、尚葵は失いかけた自我を取り戻す。そうだ、この子が聖のはずがないんだ。
「私は……」
「藤沢先生…ですよね?」
「え?」
「整形外科の看護師さんに聞きました。すごく人気あるんですね」
「さ…さぁ……それはどうだろう……」
 他人の評価は気にしないようにしているが、感心しきりの眼差しを真っ直ぐに向けられると、少々気恥ずかしい。話を逸らすため、尚葵は別の話題を投げた。

「それにしても初心者でこの場所へ訪れるのは珍しいんだが、もしかして迷子かな?」
 これ以上“迷子”のレッテルを貼られては堪らないとばかり、聖樹が慌ててかぶりを振る。
「あ、いえ、藤沢先生が時々こちらにいらっしゃると伺ったので……」
「私になにか?」
 なぜか聖樹は口籠もった。視線を泳がせる様は、言葉を探している風にも見える。
「あの…さっき初めて僕を見たときの驚き方が、そのぅ、ちょっと気になって……」
「?」
「……何でもありません! 失礼しました」
 紅潮した様子で叫んだかと思うといきなり踵を返し、少年はもと来た道をぱたぱたと駆けていってしまった。
「……変なヤツだな」
 尚葵は首を傾げた。変…そういえば聖も何か妙なことを言っていたような……


--------------僕、絶対生まれ変わるから--------------


 ドクン、と胸がざわめく。まさか、本当にそんなことが……いや、考えすぎだ。あり得ない。ただ偶然あいつに似ていただけだ。
 尚葵は、過ぎる憶測をすぐに打ち消し、足早に研究室へ戻った。
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