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NEVER END LOVE 2nd  #4
「…きて…」
 心地よい眠りの篭に揺られる尚葵の耳元で、声がした。眠気が抜けない目をうっすら開けると、傍らに誰かがいる。だが、視界がぼやけてよくわからない。
 誰…だ……天使…?
「藤沢先生! 起きてください。そろそろですよ」
「あ…? あ、ああ……」
 天使…、いや、聖樹の姿をようやく視界に収めた尚葵は、ゆっくり半身を起こした。篭に揺られている気分がしたのは、揺さぶられたのが原因らしい。
 顔を洗い呆けた頭を何とか起こし、バルコニーへ出た。11月のまだ中旬とはいえ、深夜の空気は刺さるように痛い。昔から寝付きと寝起きの悪い尚葵だが、これには一気に目が覚める。

 空を見上げて間もなく、流星が2個、3個と落ちた。都会の薄い空に繰り広げられる一夜限りの壮大な天体ショー。肉眼でも判るほど、星が次々と空を横切る。
 よく流れ星が消えるまでに願い事をすると叶うといわれているが、彗星が振りまく塵に祈ったところで、ご利益などあるのだろうか。
 幻想的な光景を目にしながら、つい現実を考えてしまう自分。傍らで静かに祈りを捧げる聖樹に申し訳なく思う。
 その聖樹が、くしゅんと小さなくしゃみをした。
「寒いのか?」
「う…うん………」
 尚葵はリビングに戻り、さっきまで自分が使っていた毛布を手にした。そしてそれを小言と一緒に聖樹の肩へかけてやる。
「だから、風呂はやめておけと言ったんだ」
「だって…汗くさいのイヤなんだもん……」
 少し拗ねた口調で抗議する聖樹。尚葵はまじまじと表情を観察する。
 汗くさい…か。
 そういえば、聖はいつも病院の消毒液の匂いがしていた。聖はこんなにくるくる表情が変わったりはしなかった……
 比べてはいけない。頭では理解しているつもりなのに、どうしても聖を重ねてしまう。

 どこまでも未練がましく疎ましい人間。誰でもいい、こんな自分を叱り飛ばしてほしい、罵倒してほしい、いっそ嘲け嗤ってほしい。そう強く願った時だった。

「………尚葵」

 …え?

 言音を発したのは眼前の聖樹。いつもとは全く異なる呼びかけに、尚葵は耳を疑う。
 聖樹は笑っていた。大きな声を立てるそれとは違った、静かな笑みだ。その笑みはまるで。
「ごめんね。尚葵を苦しめるつもりじゃなかったんだ」
 穏やかな顔が悲しげに歪む。触れれば消えてしまいそうな錯覚を覚え、尚葵は延ばした手を宙で止めた。
「でも、嬉しかったよ。ずっと僕を忘れないでいてくれたこと」

 一体聖樹は何を言って………いや、まさか。そんな、馬鹿な。
 理性が必死に否定をするが、そうでなければ合点がいかない。

「……ひ………じり……?」

 恐る恐るその名を口にする。儚げに微笑む少年は、肯定も否定もしなかった。

「過去に縛られないで。尚葵の人生は、尚葵のものだから」
「本当に……お前…なのか?」
「僕は、僕だよ」
 少年はにっこりと笑った。尚葵の頬から涙が伝う。なぜ自分は泣いているのだろう。ただ悲しくて泣いているのではない。それだけは解る。

 宙で止めていた掌が少年の頬に触れた。その瞬間、憑き物が落ちたかのように、聖樹の表情が戻る。

「…え? 先生、なんで泣いてるの!?」

 大の男の涙におろおろする様子は、いつもの聖樹だ。
 すると今の現象は何だったのか……夢と現の狭間で尚葵の願望が見せた幻?
 尚葵は伝う涙を拭うこともなく、人生は自分のものだからと背中を押した少年の言葉を思い返していた。心が軽くなった気がする。
 もう迷ったりしない、例え嫌われてしまうとしても。この想いは止められない。

「大丈夫?…せんせ…」
「聖樹…好きだ」

 思いもかけない尚葵の告白。聖樹の中で何度も反復される。硬直した瞳が尚葵の真意を問う。
「そんな……本…気……?」
「ああ。本気だ」
 嘘、こんな旨い話があるはずがない。
 独りよがりの片思いだからとずっと想いを心に秘めてきた聖樹にとって、その告白は到底信じ難いものだった。突然唇を奪われたあの日だって、驚いて逃げ帰ってしまったが本当は嬉しかった。だけど……

 黙り込んだまま顔を背ける聖樹。その沈んだ表情が尚葵を不安にさせる。
 やはり嫌われてしまったのだろうか。
「済まない、すっかり困らせてしまったようだな」
 溜息混じりにその場を離れようとする尚葵を、聖樹は慌てて引き留めた。
「違…違うんです。僕、僕…」
 もしかすると先生は自分の中に、かつての想い人を見ているだけなのかも知れない。それならまだ納得できる。でなければ自分など相手にされるはずないのだから。
 でも、いい。それでも大好きな先生と一緒に居られるのなら。
「先生のことが好き…! 僕に似た人の代わりとしてでも構わない」
 尚葵は驚きで目を見開いた。自分にとって最上級の返答だが、どうやらこの子は余計なことを考えてしまっているらしい。
「ばか。《聖樹》が好きだと言ったのが聞こえなかったのか?」

 今からじっくりその誤解を解いてやる。尚葵は微笑いながらそっと抱き寄せ、聖樹の髪に優しいキスを落とす。
 やがて二人はバルコニーを離れ、寝室に消えた。
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